2017年10月03日

「全くの晴天の霹靂」

10月2日はトムネコゴの誕生日です。

2008年10月2日 金曜日、午前11時開業。
通りから店内を、チラチラと覗く人達。
立ち止まっては佇み、のち、また歩き出す人達。
入り口から中を覗き込み、不思議な顔で、そこを離れる人達。
そんな状況が何度か繰り返され、無人のまま、午後2時を過ぎる。
“どうして入って来ないんだろう?”
そう気を揉んでやっと気が付いた事は、開店を示す看板を何も出していないという事(!)。
急いでどこかから適当な板を見つけ出し、妻が茶色のペンキで大きく書く。
『OPEN』
それを外に出し、ちょっとして、ようやく初めてのお客さんが来る。

その女性は窓際の席に座り、メニューをパラパラと眺め、トムネコビターとケーキを注文。
僕は急いでお湯を沸かし、豆を挽き、ネルをセットして、カップを温める。
それから濃い珈琲をおとし、手鍋に移し、かるく火にかけて、カップへと注ぐ。
その間に妻がケーキを準備し、渡された珈琲と共に、窓際の席へと運ぶ。

その女性は読んでいた雑誌を片付け、テーブルの上を空けると、そこに珈琲とケーキを並べた。
そしてそれらを、パチリと一枚写真に撮った。
まるで発掘された“何かの骨”を撮影する考古学者のように、とても個人的に、撮った。
それからカップを持ち上げ、静かに口をつけた。

僕は自分が淹れた珈琲がどう評価されるのかが気になり、それが怖くもあって、その様をまともに見ることが出来なかった。
カウンターの中でしゃがみこみ、壁にもたれてじーっとガス台を見つめていた。
そしておそらくは、その場から逃げ出したいと思っていた。

「すいません、珈琲おかわり下さい」

それは突然の声であり、全くの晴天の霹靂。

僕は立ち上がり、かるく深呼吸して、もう一度、お湯を沸かし始める。

(ただそれだけの話・実話)


お知らせです。
何が原因かは分かりませんが、10月29日(日)の第10回『人の話を聴く会・番外編』の残席は、早くもあと1席となっています。
気になる方は、お早めにどうぞ。

その2。
来週の水曜(11日)は、もう一つの定休日(毎月第2水曜)です。
うっかりすることのないよう、お気をつけ下さい。
店主

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「急に降ってきたわね」「今日、雨なんて言ってた?」「言ってないわよ!」「そうよ。晴天の霹靂よ」
posted by トムネコゴ at 23:01| 東京 ☁| Comment(4) | ただそれだけの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

生きた音楽、芸術のことは自分に従う、もはやマクラとも呼べない

扉を開けると、強烈なエレクトリック・ギターのサウンドが飛び込んできた。
ジャズ・ギタリスト/ウェス・モンゴメリーによる、『Blue’n’Boogie』。
ピックではなく指で弾(はじ)いて鳴らされるそのサウンドは、どんなに激しい曲でも、その独特の温かみを失うことは無い。
そこにはまるで、ネルで淹れた珈琲の様な、“まろやかさ” があり、“コク” がある。
そのうえ、“ちょっとした中毒性” もあるかもしれない。
一度その味を知ってしまうと、
「そうそう、これこれ。やっぱりウェス(ネル)でなくっちゃ!」、ということになる。

それは60年代初頭のライヴ演奏で、ウェスのギターにテナーサックスが絡み、リズム隊(ピアノ、ベース、ドラム)がそれを強力にサポートする。
そのテンションは一様に高く、オーディエンスの熱気も凄く、お互いが作用し合ってその音楽を成していることがよく分かる、本当に素晴らしいライヴ演奏です。

僕は何も考えずに、ただただその音楽に浸る。
すると、急にそれはデューク・エリントンの音楽に変わる(?)。
ノリのいいリフ・チューン、『Perdido』。
そのオーケストラによる圧倒的なサウンドは、正に音の洪水となって、瞬時に僕の体を飲み込んでしまう。
そこには窒息せんばかりの音の厚みがあり、身体の芯を揺らす強力なスウィングがあり、“自分が丸ごと何処かへ持っていかれる”、そんな魔法のような力がある。

僕は久しぶりに大きな良い音で聴くデュークの音楽に感激し、しばし放心の態。
すると、急にそれはピアノトリオの音楽に変わる(???)。
そこで今更の様に、ここがジャズ喫茶であることに気づいた。

🐈ジャズ喫茶ではだいたいレコードの片面だけをかけて、1枚丸々かける事はしない。なので、次々と違うレコードがかかることになる。トムネコゴはジャズ喫茶ではないですが、だいたいレコード(CD)は丸々かける。これは(おそらく)好みの問題だと思う。ニャル🐈

「そうか、僕はジャズ喫茶に来ているんだった」
その日は夕方に、世界的に有名な女流演奏家によるバッハのフランス組曲全曲演奏会があり、それまでにちょっと時間が出来たので、会場の近くにあったそのジャズ喫茶に寄ったのでした。
デュークの圧倒的な音楽を聴いた直後(というよりは “最中”)に聴くそのピアノトリオは、決して悪い演奏ではないにしろ、やはりどこか物足りなく感じる。
僕は複雑な気分で席を立ち、その夜の“連れ”との待ち合わせ場所へと向かう。

その夜のバッハ演奏を一言でいうと、どこか物足りない、と言うことになります。
好感の持てる立派な演奏(特にテンポの素晴らしさ)ではあったと思いますが、何か “強烈に訴えてくる” というところが無い。
それが素晴らしい音楽であるという事は分かるのだけど、その演奏を聴いて、“自分が何処かに持っていかれる” という感覚にはならない。
どうしてそういうことになるのか。
素晴らしい音楽と立派な演奏、それの何処に “物足らなさ” が潜んでいるのか。
僕にもはっきりとした事は分かりませんが、おそらくそれは、“生きた音楽とは何か?”、という事と関係がある気がします。
その日の演奏を聴きながら僕が考えていた事は、もしバッハ自身がこの音楽を演奏したら…ということ。
そして、これは自分でも変な例えだと思いますが、もしデュークが演奏したら…とも考えていました。

僕は音楽(芸術)に対して欲張り過ぎるのかもしれない。
本当は、素晴らしい音楽と立派な演奏で満足するべきなのかもしれない。

「どうでもいいことは流行に従う、大切なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う」

これは映画監督・小津安二郎の言葉です。
僕は芸術のことを思う時、よくこの言葉を思い出します。

(ただそれだけ話)

さて、マクラがすごく長くなりました。(もはやマクラとも呼べない)

お知らせ
18日の第8回『人の話を聴く会』の席が、あと1席(頑張って2席)有ります。(キャンセルがでたため)
気になる方は是非。
予約 080ー6502ー0406 か thomnecogo@gmail.com まで。

お待ちしてます
店主

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※デューク・エリントンです。あのゴージャスなサウンドが聴こえてきますか?
ちなみに、僕はデュークをジャズ界のバッハだと思っています。そしてバード(チャーリー・パーカー)がモーツァルトで、マイルズがベートーヴェン……なんてことを言うと、クラシックファンからお叱りを受けるかしらん。
posted by トムネコゴ at 09:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ただそれだけの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

『魅惑の宇宙防衛隊』

トムネコゴの直ぐ目の前には公園があります。
井之頭公園の「外れ」と言いますか「離れ」と言いますか。
ブランコがあり、スベリ台があり、鉄棒がある。
もちろんベンチもいくつかある。(砂場は無い)
そして直ぐ側を小川(神田川の源流)が流れ、それに沿って大きな木が生えています。
川の水は浅く、アメンボ達が、水面から突き出た石の間を“すいすい”と移動して行くのが見える。
木々は高く、その下に立って上を見ると、立派な枝葉を通して朝の空が遠くの方に見える。
晴れた日には青空が、曇った日には曇り空が。(当然)

僕は店の開店前にその小川の側まで行き、そこにある木を使って軽いストレッチ運動をしながら、何となく“川の音”を聴いたり、風で木々が揺れるのを見たり、“風そのもの”を感じたりして過ごすことがあります。
脹ら脛や腿の裏を“ぐいぐい”伸ばしながら、何も考えずに、ただそれらの中に身を置く。
それだけの事ですが、不思議に気分が晴れ、気持ちの良い時間を過ごすことが出来ます。(暇な方は試してみて下さい)

ある日、いつものようにそんな(暇な)事をしていると、4人の少年達がセミ捕りとバケツを手にやって来ました。
1人は川の中を歩き(泥だらけ)、残りは川の縁を何やら叫びながら歩いています。(しかし子供はよく叫びますね)

「おーい、いったぞー」
「そっちからまわれー」
「逃すなよー」
そして、
「オレたち、みわくのうちゅうぼうえいたーい」

みわくのうちゅうぼうえいたい?
そう、彼らは『魅惑の宇宙防衛隊』だったのです。

『魅惑の宇宙防衛隊』とは何か?
知りません。
では『魅惑の宇宙防衛隊』は何をしているのか?
どうやら川に住む何かを獲っているようです。(虫?ザリガニ?)
それが「宇宙の防衛」と何か関係があるのか?
知りません。(見当もつきません)

世の中にはまだまだ知らない(見当もつかない)事が沢山ありますね。
(そんな「防衛隊」があるなんて、おそらく政府も知らないのではないでしょうか)

少年達の目を通してこの世界(宇宙)を見ると、そこには沢山の「魅惑」があって、彼らはセミ捕りとバケツを手に、今日もどこかでこの「魅惑の宇宙」を防衛しているんでしょうね。
おそらく、泥だらけになりながら。

「つかまえたぞー」

(ただそれだけの話)

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※先日久しぶりに登った高尾山。都会の喧騒を離れ、気持ちの良い山登りと静かな山頂の景色を‥‥と思ったらなぜか子供だらけ。(実際には写真の5倍位います)
「アリだー」「お菓子忘れたー」「せんせー何才?」
こうなると「魅惑」もヘッタクレもありません。あるのはただ「混沌」のみ。
「まず始めに混沌が在った」(ギリシャ神話)
「今もやっぱり混沌は在る」(現代の真話)
posted by トムネコゴ at 06:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ただそれだけの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする