「御注文は?」
「トリス」
「どの様にいたしましょう?」
「ストレイトで」
店内では古いジャズが流れ、ピアニストの長いソロが聴こえる。その不思議な響きとリズムを持つ音楽は、妙に男の神経に障ってくる。
「お待たせしました」
「このピアニストは誰ですか?」
「セロニアス・モンク」
「せろにあすもんく?」
「ええ。」
「不思議な名前ですね。そしてこの音楽も」
「これは彼のオリジナルです。“ストレイト、ノー・チェイサー”」
「ノー・チェイサー(水は要らない)?」
「そうです。正にお酒を注文する時の言葉を、そのままタイトルにしたようです」
“セロニアス・モンク”、“ストレイト、ノー・チェイサー”。どちらも聞いたことが無い。そもそも男にとっては、“ジャズそのもの”が聴いたことの無い音楽。
「すごく聴きづらいですね。ジャズってもっと聴き易い音楽だと思ってました」
「モンクは特別です」
「どう特別なんですか?」
「モンクの音楽の中には、美醜哀楽、全てがあります」
“美醜哀楽全てがある”
男は目の前のグラスを見つめ、しばらくそれについて考える。まだ、口はつけない。
「美醜も、哀楽も、それぞれが存在して初めて成立する関係だと思いますが」
「その通りです」
「だとしたら、それらが全てあると言うのは、そんなに特別な事とも思えないですが」
「おっしゃる通り。それだけだと、なにも特別なことはありません」
「でもモンクの音楽は違う?」
「ええ。モンクの音楽の場合は、それらがほとんど等価にあります」
“美醜哀楽が等価にある音楽”
男は首を振って考えることをやめ、グラスに口をつける。その滑らかな液体が喉を通り、胃の中に落ち着くのを待つ。それから改めて、棚にある『トリス』の瓶を見つめる。その“小さな男(アンクルトリス)”のイラストは、不思議と男の心を落ち着かせてくれる。それは彼が今最も求めているものだ。
“これまでの様な生き方をしてたらダメだ”
男は目を閉じ、そう思う。
目を閉じると、モンクの音楽が頭の中をぐるぐると回る。それは永久運動のように、始まりも終わりも無く鳴り続ける。美醜哀楽全てがある音楽。“そうかもしれない”、と男は思う。“俺にはその何かが欠けているのかもしれない”
気がつくと、アンクルトリスはすでに‘そこ’にいて、その音楽に合わせて踊り始めている。短い手足をばたつかせ、独り奇妙なダンスを踊っている。それはけして褒められたものではないけれど、何かが強く男に訴える。そこから目を離すことが出来ない。
男は、自分の身体が揺れていることに気づく。そして、自分が何処かへ運ばれて行くのを感じる。
目を開いて、もう一度その瓶を見つめる。アンクルトリスは気持ち良さそうに‘そこ’に納まっている。蝶ネクタイを締め、グラスを片手にニッコリとしている。男は少しだけ微笑み、それから、彼に向かってグラスを上げる。
「もう一杯ください」
「同じもので?」
「そう、ストレイト。ノー・チェイサーで」
おしまい。
今年2017年はモンク生誕100年。この文章を書き上げた後に、その事に気がつきました。
僕はモンクの音楽が大好きです。(皆さんはどうですか?)
この文章を書いている時は、頭の中でずっと彼の音楽が鳴っていました。(これを書き進める推進力となっていた気がします)
因みに、僕は普段お酒を一切飲まないので、アンクルトリス氏のお世話にはなっていません。
店主 平良
「Jazz and Freedom go hand in hand」Thelonious Monk