2017年11月08日

『絵を買う』

トムネコゴが鎌倉にあった頃、よく来る常連のお客さんに油絵画家がいました。
その名を“タイコーさん”。
当時(約9年前)おそらく50代で、見事に膨らんだ太鼓腹と人懐こい笑顔、そして、同世代の綺麗な奥様をお持ちでした。
そんなタイコーさんは、僕が初めて会った本当に芸術家らしい芸術家だった様に思います。
昼間から酒(『いいちこ』)を呑み、煙草を吸い、描いた絵は売れず殆ど無収入で(奥様の収入で生活している)、文字通り「ガハハ」と豪快に笑う。
その笑い声には世の中の、あるいは自分の暗いニュースなんか吹き飛ばしてしまう、そんな勢いと力強さがありました。
当時のトムネコゴには(土地柄なのか)芸術家や芸術関係の仕事をしているお客さんが何人もいましたが、僕は個人的に、タイコーさんに最も芸術家らしい何かを見ていた(あるいは感じていた)様な気がします。

一度タイコーさんの自宅に妻と2人で伺ったことがありました。
「よかったらナオちゃん(※僕のこと)、今度ウチに夕飯食べにおいでよ」
「いいんですか」
「いいよー。ナオちゃん何が好き?」
「カレーです」
「カレーかー。いいねー。ガハハハハ」

それは鎌倉の山の中腹にある一軒家(2階建)で、タイコーさんは玄関の外で煙草片手に僕らが来るのを待っていました。
居間ではジャズが流れ(タイコーさんもジャズファン)、いろんな物が雑然とあり、そのためとても気安く寛げる、そんな空間です。

食事の前に仕事部屋を見せてもらった時、それこそ山の様にある油絵の中から、妻が一枚の猫の油絵をすごく気に入りました。
そして、「これが欲しい」、と言い出しました。(僕は内心“いいな”とは思ったけれど、まさか“欲しい”とは思わなかった)
「タイコーさん、この猫の油絵売ってるんですか?」
「売ってるよー。けど高いよー」
「いくらですか?」
「 ウン万円」
それを聞いて妻を見ると、「買う!」、と一言。(僕は内心“おお!”と驚きました)

その日の夕飯は奥様お手製のグリーン・カレー。
それはことの外美味しく、結局僕は、お代わりをし過ぎて奥様の分まで食べてしまいました。
「ナオちゃん良く食べるねー。いいねー。ガハハハ」

買った猫の油絵を軽く包んでもらい、玄関の外で手を振る二人に頭を下げて、妻と二人、真っ暗な夜の山道をゆっくりと降って行きました。

あの日の猫の油絵は今でも大事にトムネコゴに飾ってあります。
それは当時の僕らにとってけっして安い買い物ではなかったけれど、“でもそれで良かったんだ”、と今なら思えます。
結局それは、画集を買ったのでもポストカードを買ったのでもなく、絵を買ったのだから。


ーお知らせー
現在トムネコゴでは大平高之『秋の展示会』をやっています。(18日まで)
飾ってあるパステル画はどれも販売しています。
宜しければ、声をかけて下さい。
店主

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posted by トムネコゴ at 07:48| 東京 ☁| Comment(0) | ちょっとしたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

「何か凄いものみたなぁ」 劇団「地点」による“とんでもない演劇世界”

畳の部屋に長方形の低いテーブルが置かれ、その周りに“いい歳したおじ様達”が座っています。
北竜二(ちょび髭)、中村伸郎(メガネ)、佐分利信(貫禄)、そして笠智衆(好々爺)。
テーブルの上には酒や料理が並び、彼らはそれを口にしながら、冗談を言ったり、店の女将(高橋とよ)をからかったり、時には歌を歌ったり。
無常を感じさせる、どこか哀愁のある時間が、そこでは流れています。

これは晩年の小津映画に“ちょいちょい”出てくる、同級生による会食のシーンです。
僕は22、3才の頃に小津安二郎の映画と出会い(「東京物語」)、それから熱烈な小津映画ファンとなり(20代の僕にとって小津安二郎はヒーローの一人だった)、DVDボックスセットを買って何度も何度も観ました。
小津映画の何がそんなに良かったのだろうか?
あるいは、小津映画の何が“20代の僕の心にそんなにも響いたのだろうか?”
僕が今だによく憶えていることは、「小津映画の住人になりたい」と(強く)思ったこと。
あの(時に下品で卑猥な冗談を言い合っている)“おじ様達”が住んでいる世界に、僕も身を置きたいと思ったこと。(今でも思う)
そこには自由と秩序があり、品と下品があり、変わるもの(無常)と変わらないもの(不変)がある。
それらがバランス良く共存しているその世界の在りように、20代の僕は強く心を惹かれました。
小津安二郎が創り出す、その不思議で魅力的な世界に。
「行ったかい、東京?」(「晩春」より)

最近それと似た経験をしました。
それは映画ではなく、演劇です。
劇団「地点」(演出 三浦基)が作り出す演劇世界。
そのあまりに独特の世界にハマり、そこ住んでいる住人(役者)に好意(の様なもの)を抱き、「僕も彼らと同じ空気を吸ってみたい」と思いました。
チェーホフの「かもめ」「櫻の園」、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」、現代劇作家 松原俊太郎の「忘れる日本人」。
どれを観てもそこにはしっかりと“地点印”があり(それはあの“小津調”のように、“三浦調”と言えるかもしれません)、観劇後の心が浮遊する感じは、「何か凄いものみたなぁ」と言う言葉となって出てきます。
そしてその後に、何かを考えさせます。

実際に「地点」の演劇を観ると分かるのですが、決して解りやすい劇ではないと思います。
少なくとも僕にとっては、解るところよりも解らないところの方がずっと多い。
そこでは言葉は解体され(例 「誇り」を「ほっこり」と言ったりする)、役者の役柄、その動きの必然性や関連性等、それらの意味を考え始めると「???」という事になってしまう。
でも変な話かもしれませんが、意味を考えずに目の前で起こっていることをただ無心で眺めていると、気がつくとその世界に入り込み、そこの住人に共感(の様なもの)を抱き、不思議に感動すらする事があります。
どうしてそうなるのでしょうね。

もしかしたら、そこでは“意味”はそんなに重要ではないのかもしれない。

そんなもの解らなくたって、十分におもしろい演劇があること。
それを目撃して、何かを感じること。
そして終演後、明るくなっていく客席で一人、「何か凄いものみたなぁ」と呟くこと。
それだけで、例え十分に意味が解らなくても、僕にとっては素晴らしい演劇体験となっています。

気になる方は劇団「地点」で検索して、是非一度足を運んでみて下さい。
その“とんでもない演劇世界”は、ちょっとクセになる、と思いますよ。

「ミチコ、ミーチコ!」(「忘れる日本人」より)

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※つい先日、横浜で「地点」の最新作「忘れる日本人」を観てきました。観終わった後、やっぱりあの言葉を呟いていました。そして改めて「この人たち(劇の住人)のいる世界に住んでみたいなぁ」、と思いました。
そしてなんと(!)、今回の劇では客が10人ほど参加できる、言ってみれば“その世界の住人にちょっとだけなれる”場面がありました。僕がドキドキしながらどうしようか迷っていると、一緒に来て離れた席に着いていた妻が、嬉しそうに舞台に上がるのが見えました(!)。僕はその情景を見て、何となく出そびれて(その間に定員オーバー)、そのまま客席に座り続けました。今思えば、「出れば良かったかなぁ…」と思わなくもないです。(ちょっと残念)
写真はその「忘れる日本人」開演前の状況。漁船があり、その下に“何かが”います。これだけで何かが起こりそうな気がしませんか? そうです、これから“とんでもない世界”が出現します。
「ワッショイ!!」(「忘れる日本人」より)
posted by トムネコゴ at 10:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっとしたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月04日

参加者の声と、予想以上に大きなもの

『人の話を聴く会』に参加した方々から、気持ちのこもった、感動的な感想のメールとコメントをいただきました。
思ってもみなかった事なので、本当に嬉しいです。
そして、この会を始めて良かったと、改めて思いました。

本人の承諾を得て、迷っている方の一助となればと思い、ここにほぼ原文のまま載せます。
是非読んでみて下さい。

『第5回 ゲスト佐藤俊太郎(指揮者)の会への感想』

「トムネコゴさん、こんばんは 今回の話を聴く会、とても心に残る素敵な会でした。 今思えば、それはまるで、佐藤さんという一人の人間の交響曲を聴いている様でした。驚きや喜び、関心、苦しみ、楽しさ、そして哀しみも。二時間があっという間でした。 そして私も、哀しみを体を使って表現した佐藤さんが印象的でした。 私も本当に素敵な、いい会だと思いました。 次回も楽しみにしています。有難うございました。」

「トムネコゴ さま こんにちは。昨日「人の話を聴く会」に参加させていただいた者です。ご感想をと思い立ち勝手ながらメールをさせていただいた所存です。おいしいコーヒーと指揮者の佐藤さまのたいへん興味深いおはなしにどこかタイムスリップをしたような懐かしい気持ちを覚えました。そして、普段、人の話をじっくり聴ける機会がなかなか無かったことも気づかされました。味わい深い会に心から感謝すると同時に喫茶とあわせて、またの機会に参加させていただきたいと思います。つたない文ではありますが感想のメールを送らせていただきました。それでは、失礼いたします。」


『第6回 ゲスト菅間一徳(音楽家)の会への感想』
※菅間さんには当日3曲を演奏していただきました。(どれも素晴らしかったです)

「トムネコゴさん、こんにちは。 第6回・人の話を聴く会、菅間さんの話。とても素敵な会でした。 本当に素敵な会だったと思います。 菅間さんの音楽がこんなにも苦しい、辛い所を通り抜けてきたのだということを(もちろん)知らなかったし、だからこそこんなに素敵な音楽を弾かれるのかもしれないけども、なんだか、私は最後の方に(誰にも気が付かれないよう)涙が出ました。 11月1日の詩、本当に素敵な演奏でした。 人の話を聴く会、本当に素敵な会ですね。 菅間さん、平良さん、トムネコゴさん、本当にありがとうございました。次回も楽しみにしています。」

「昨日はありがとうございました。本当にいい会でした。拙いですが感想を書いて見ます。あの人はハイパー センシティブね。それが私のロンドンのヴァイオリンの先生の(最高の)褒め言葉でした。菅間さんの演奏とお話を聞いて、こんなにセンシティブな人はなかなかいないんじゃないか、と思いました。だいぶ予想はしていたけれど、だいぶ予想以上だったです。これでもない、あれでもないと自分の音楽を探してこられたお話、自分のこころにある気持ちに正直に進んでこられたこと、とても感動的でした。正直に誠実に、ゆっくり正しく内面を語っていることの積み重ねで、昨日はいつのまにかみんな聴いている人がすごく満足したのがわかりました。きっとそのようにして、いつも前に進んでこられたのだろうなと思わせる、独特の静けさを持った、でも妥協のない、しなやかな話し方が印象的でした。
聞き手としての平良さん、とても良かったです。菅間ワールドに入ったり少し出たりする感じが聞き手にとって心地良かったと思います。演奏や録音を聴こうと言うタイミングも絶妙でした。いい会でした。そして、こういうことを言うのも変なのですが、でもこれは尊いことだと思うのですが、私も頑張るぞと思わされました。またみなさんにお会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございました。」


『人の話を聴く会』は、まだ始まったばかりの若い会です。
これからどう育っていくのか、他人事の様に楽しみな会です。(ちゃんと育ちますように)
“人の話をちゃんと聴く事によって得られるもの”は、予想以上に大きいのではないでしょうか。
今はそんな気持ちがしています。
店主 平良

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※安恭ノ介 作「柿の絵」です。ちゃんと育つとこんな立派な実をつけます。美味しそうですね。これならたとえ御用となっても(古いね)、“柿泥棒としては本望かもしれない”。「てやんでぃ」




posted by トムネコゴ at 18:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっとしたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

第5回 『人の話を聴く会』を控えて

いよいよ今夕、第5回 『人の話を聴く会』 ゲスト 佐藤 俊太郎(指揮者) があります。
それで、ちょっとだけ今の心境を書いてみます。

『人の話を聴く会』は、僕にとって、「楽しみ」以上に「挑戦する」度合いの方が強い企画です。
自分の能力を使って、どれだけ相手の「話」を聞くことが出来るか。
別の言い方をすると、どれだけその「物語」を聴き出すことが出来るか。
そこにこの「会」の本質がある、と今は思っています。

それは、初めて森の中に入る心境とどこか似たところがあるかも知れません。
僕らは知識と経験と想像力を頼りに、なんとか奥へと進もうとします。
道無き道を進む。
その先でいったい何が僕らを待っているのか?
それは行って見ないことには分かりません。
そして、僕はそれを見たいと思っています。
皆さんはどうですか?

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※本日の喫茶営業は17時までとなります。お気をつけ下さい。店主拝



posted by トムネコゴ at 09:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっとしたこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする