2017年05月27日

「パステルの立てる音」、5月20日の『waterside』を終えて

そのアコーディオンの音は、地中深く根を張り巡らせる様に伸び拡がり、まるでその夜を、音楽で満たすかの様に響いた。
そのギターの奏でる旋律は、風の中から取り出した様に自然に現れ、まるでその夜を、音楽で醒ますかの様に響いた。
そしてもう一つ。
その日は画用紙に絵を描く、“パステルの立てる音”がそこに加わる。
その「ザー、ザー」という擦れる音が、曲と曲の合間などに聴こえてくる。
それは“ふと”した時に聞こえてくる雨音の様に、耳に心地良く響き、そのまま“何かから”僕らの意識を奪ってしまう。
僕らはその“擦れる音”を聴き、そうしてまた、その夜の音楽を聴く。

会の終演後にギターの菅間さんと話をしたら、
「(今夜の演奏会は)大平さんの存在が大きかったです」
とおっしゃってました。

響き合っていたのかもしれないな、と思います。
3人がそれぞれの楽器を持ち寄り、それを奏で合うことで。

5月20日の菅間一徳、権頭真由、大平高之による『waterside』とは、そんなことを思わせる演奏会でした。

菅間さん権頭さん大平さん、そして、ご来場の皆さん、どもうありがとうございました。
店主

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※響き合って出来た絵です。素敵な絵ですね。その日は全部で3枚の絵が生まれました(どれも素敵です)。残り2枚は、そのうち、また。
posted by トムネコゴ at 08:36| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 印象記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

カツ代さんの思い出

僕には師匠や先生、または恩師と呼べる存在は幸か不幸かいません。(皆さんにはいますか?)
それは“たまたま”巡り会えなかっただけなのかもしれないし、あるいは、僕の性格に何か問題があるのかもしれない。(後者だと思う)
だからどうという事も無いのですが、たまにそういう存在を持っている人が、その存在について語る時に彼らの語ること……を聞くと、「やはりそれは幸福な事なんだなぁ」と素直に納得します。
もちろん、その為に自分の事を不幸だなんて全然思いませんが。

でもそのような“存在”に近い人なら、僕にもいます。
それは、料理研究家の小林カツ代さん。
僕はカツ代さんに弟子入りしたり料理を習ったりした訳では無いので(昔も今も料理にはほとんど興味が湧かない)、いわゆる師匠や先生とは違いますが、ある時期に出会い、影響を受け、「自分の中に確実に何かを残した人」、そういう“存在”としてカツ代さんはいます。

生前(2014年1月永眠。合掌)ちゃんと話をした事は数える程(2、3回)しかなく、最後にお会いしてからもう15年近く経ちますが、今でもふと思い出しては様々な事を考えます。
あの少しザラついた声と、顔いっぱいに広がる“カツ代スマイル” 、それらを懐かしく思います。
そんなカツ代さんは、いったい何を僕の中に残していったのだろうか?

カツ代さんと知り合ったのは22歳の時、バイト先のオーナーが“たまたま”カツ代さんだったのがきっかけです。(カツ代さんは当時60代半ば)
それからなぜか気に入られ、プライベートで何度か“お茶”をする事がありました。

ある日の休日、吉祥寺をぶらぶらしているとカツ代さんにばったり会い、
「あら平良くん、何してるの?」
「いや、特に何も」
「そう、じゃあお茶しない?」
「いいですね」
と、そのまま近くの喫茶店へ入る。
テーブル席に向かい合って座り、珈琲を頼み、ケーキを注文する。
そのようにして、会話が始まる。

カツ代さんは相手の目を真っ直ぐに見て話をします。
そして相手の目をじっと見ながら話を聞きます。
横槍も“ちゃちゃ”も無く、ただ相手の話に耳を傾けています。
そして自分の意見をはっきりと言い、こちらの意見をしっかりと聞く。
そこには上も下も無く、世代も性別もほとんど気にならない程度にしかない。
そんな手応えのある“やり取り”が、20代の若者と60代の大人の女性の間にしっかりと有る。

それは会話の内容というよりは(もちろんそれもよく憶えている)、人と人とが向き合うその“向き合い方”、その“姿勢のあり方”のこと。
僕がカツ代さんとの会話から感じた大きな事は、そういうことだったのではないか。
だからこそ、それはしっかりとした“手応え”として(あの“声”と“スマイル”と共に)、今も僕の記憶に強く残っているのかもしれない。
“手応えのあるやり取り”
それがカツ代さんが僕に残したものだとしたら、僕としてはその事をとても嬉しく思います。
なぜなら、それが貴重だということが、今になるとよく分かるから。


※今年の初めに『小林カツ代伝』(中原一歩 著)という伝記本がでました。僕は最近はもっぱら古本と図書館本ばかりで新刊書は滅多に買わないのですが、この本を見つけた時は直ぐに買い求め、一気に読み、そして改めて小林カツ代について考えました。
一人の自意識過剰で偏った若者が感じた、カツ代さんの印象です。

「平良くん、お茶しない?」
「いいですね」

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※エラを聴くとカツ代さんを思い出します。おそらくその人懐っこい笑顔、恰幅の良さ(失礼)、周りを元気にするそのムード等が似ているからかもしれません。このレコードは大好きな一枚。心温まる素敵なライブです。エラは「サンキュー」を何度も叫び、まるで十代の女の子の様に無邪気に笑っています。お客さんもすごく楽しそう。(ビリー・ホリデイだとこうはいかない)
posted by トムネコゴ at 09:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 印象記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月08日

手探りの音楽、少なくとも胸を撃つもの、画伯興奮す

2月5日に、菅間一徳 ギター・権頭真由 アコーディオン・大平高之 ドローイングによる、『贅沢な演奏会』がありました。
その日の会はいつもの菅間給仕に加え、権頭給仕セカンド(実質リーダー)、さらに大平サードまでつく贅沢ぶり。(御三方ご苦労様でした)
それから演奏です。
一曲目、二人の給仕は二人の音楽家へ。(画伯は客席へ…)


菅間さんは、右手をかるく額の前にかざし(それは祈りに見えなくもない)、一呼吸置き、それから静かにギターを弾き始めます。
和音と単音を繰り返し重ね、徐々にその音像を浮かび上がらせようとします。
でも、その旋律は水のように移ろいやすく、僕らはそれを簡単には捉える事が出来ない。
ただ耳を澄まし 、ジッと何かを待つだけ。

権頭真由さんのアコーディオンが、そこで静かに鳴り出します。
彼女の右手は、手探りしながら鍵盤の上を彷徨い、正しい音を求めてそこを上下する。
そして、出てくる音は全て正しい。
それらはあの音像に形を与え、色を成す。
空間は広がり、ここから二人の音楽的対話が始まります。
まるで「海は満ち、風が応える」ように。

おそらく二人はお客さんによりも、お互いに向けて演奏していたのではないか。(間違っていたらごめんなさい)
もしそうだとしてもそれはけして悪い事ではなく、むしろその場に居合わせた幸運の方を僕は取りたい。
だってそう思わせるだけの何かが、あの場にはあったから。

それは完成された音楽でも、技術的に優れた演奏でもなかったけど(失礼)、少なくとも胸を撃つ演奏会ではあったと思います。
そして、あの夜にそれ以上の何を望めばいいのか、今のところ僕には思い付けそうもありません。

菅間さん権頭さんそして大平さん、さらに御来場の皆さん、どうもありがとうございました。店主

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※終演後、菅間、権頭、大平さんと四人で話していたら、いつになく画伯(大平)が興奮していました。それくらい良い演奏会だったと言う事ですね。でも病み上がり中なのに大丈夫かしら?

posted by トムネコゴ at 18:40| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 印象記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする