僕には師匠や先生、または恩師と呼べる存在は幸か不幸かいません。(皆さんにはいますか?)
それは“たまたま”巡り会えなかっただけなのかもしれないし、あるいは、僕の性格に何か問題があるのかもしれない。(後者だと思う)
だからどうという事も無いのですが、たまにそういう存在を持っている人が、その存在について語る時に彼らの語ること……を聞くと、「やはりそれは幸福な事なんだなぁ」と素直に納得します。
もちろん、その為に自分の事を不幸だなんて全然思いませんが。
でもそのような“存在”に近い人なら、僕にもいます。
それは、料理研究家の小林カツ代さん。
僕はカツ代さんに弟子入りしたり料理を習ったりした訳では無いので(昔も今も料理にはほとんど興味が湧かない)、いわゆる師匠や先生とは違いますが、ある時期に出会い、影響を受け、「自分の中に確実に何かを残した人」、そういう“存在”としてカツ代さんはいます。
生前(2014年1月永眠。合掌)ちゃんと話をした事は数える程(2、3回)しかなく、最後にお会いしてからもう15年近く経ちますが、今でもふと思い出しては様々な事を考えます。
あの少しザラついた声と、顔いっぱいに広がる“カツ代スマイル” 、それらを懐かしく思います。
そんなカツ代さんは、いったい何を僕の中に残していったのだろうか?
カツ代さんと知り合ったのは22歳の時、バイト先のオーナーが“たまたま”カツ代さんだったのがきっかけです。(カツ代さんは当時60代半ば)
それからなぜか気に入られ、プライベートで何度か“お茶”をする事がありました。
ある日の休日、吉祥寺をぶらぶらしているとカツ代さんにばったり会い、
「あら平良くん、何してるの?」
「いや、特に何も」
「そう、じゃあお茶しない?」
「いいですね」
と、そのまま近くの喫茶店へ入る。
テーブル席に向かい合って座り、珈琲を頼み、ケーキを注文する。
そのようにして、会話が始まる。
カツ代さんは相手の目を真っ直ぐに見て話をします。
そして相手の目をじっと見ながら話を聞きます。
横槍も“ちゃちゃ”も無く、ただ相手の話に耳を傾けています。
そして自分の意見をはっきりと言い、こちらの意見をしっかりと聞く。
そこには上も下も無く、世代も性別もほとんど気にならない程度にしかない。
そんな手応えのある“やり取り”が、20代の若者と60代の大人の女性の間にしっかりと有る。
それは会話の内容というよりは(もちろんそれもよく憶えている)、人と人とが向き合うその“向き合い方”、その“姿勢のあり方”のこと。
僕がカツ代さんとの会話から感じた大きな事は、そういうことだったのではないか。
だからこそ、それはしっかりとした“手応え”として(あの“声”と“スマイル”と共に)、今も僕の記憶に強く残っているのかもしれない。
“手応えのあるやり取り”
それがカツ代さんが僕に残したものだとしたら、僕としてはその事をとても嬉しく思います。
なぜなら、それが貴重だということが、今になるとよく分かるから。
※今年の初めに『小林カツ代伝』(中原一歩 著)という伝記本がでました。僕は最近はもっぱら古本と図書館本ばかりで新刊書は滅多に買わないのですが、この本を見つけた時は直ぐに買い求め、一気に読み、そして改めて小林カツ代について考えました。
一人の自意識過剰で偏った若者が感じた、カツ代さんの印象です。
「平良くん、お茶しない?」
「いいですね」
※エラを聴くとカツ代さんを思い出します。おそらくその人懐っこい笑顔、恰幅の良さ(失礼)、周りを元気にするそのムード等が似ているからかもしれません。このレコードは大好きな一枚。心温まる素敵なライブです。エラは「サンキュー」を何度も叫び、まるで十代の女の子の様に無邪気に笑っています。お客さんもすごく楽しそう。(ビリー・ホリデイだとこうはいかない)
posted by トムネコゴ at 09:58| 東京 ☀|
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