男が一人、旧い鞄を片手に登場。
身なりも旧い。
一昔前のズボンと一昔前の上着、それに帽子、靴。
見てるとその動作まで一昔前のものに思えてくる。
もしかしたら、どこかに『一昔前専門店』というのがあって、男はそこの常連なのかもしれない。
おそらく。
男が通りを歩くと、道行く人にぶつかり(よくぶつかる)、謝り(よく謝る)、子供達にバカにされ(よくされる)、犬に吠えられては走って逃げる(逃足は速い)。
要するに、どんくさい。
どうやら男は、『どんくさい専門店』にも通っているらしい。
あるいは。
それでもめげずに、男は町を歩き、一軒々々家を訪ねては鞄の中の品を見せ、説明し、何とか買ってもらおうとする。
でもまったく売れない。
なぜなら、それらはガラクタばかり。
2年前のカレンダーや(「メモ用紙にどうですか?」)、切れないハサミ(「バカとハサミは使いようです!」)、変な中国のお面(「ニーハオ!」)等々。
性格的にも商才的にも、セールスマンに向いていないのは明らかである。
夕暮れ時
草臥れた男は公園のベンチに腰を降ろし、ぼーっと辺りを見る。
日はまさに沈まんとし、家路を急ぐ子供達とその声。
「バイバーイ」「またねー」
何となくそれらを見ていると、体からチカラが抜け、男はうとうととし始める。
夢
そこでは、あのガラクタが飛ぶように売れる。
「こんなメモ帳欲しかったの!」「子供にも安心!」「ニーハオ!!」
売る品が無くなると、最後にはあの旧い鞄まで売れてしまう。
男は通りへ出ると嬉しさのあまりスキップをし始め、そこへ散歩途中の犬、もちろん吠えられ、そこで眼が覚める。
現実
ここでも鞄が無い。
もちろん売れたのではなく、盗られたのだ。
日は完全に沈み、辺りは“しん”としている。
男は途方にくれ、その体もまた、深くベンチに沈まんとしている。
空には月一つ。
そして、その月明りだけが、男を照らし続ける。
月の光
しばらくしてふと顔を上げると、自分が光の中に居ることに気づく。
さらに見上げると、そこには満月。
その時、男は自分の内部で、何かが動き出すのを感じる。
(それはかつて一度も経験したことの無い、感情の揺さぶりの様なもの)
そしてジッとして居られなくなり、ベンチから立ち上がると、月に向かって帽子を取る。
「良かったら、踊りませんか?」
月明りのステージ
上着を脱ぎズボンの裾を捲くると、“トントン”と軽く地面を蹴る。
両手を広げ、そこに光が在ることを確かめる。
遠くからは、微かにあの古いメロディが聴こえてくる。
そして、それを捉えると、男はゆっくりとタップを踏み始める。
右足、左足、ターンして止まる。
右足、左足、ジャンプして着地。
じょじょに熱気をおび、体はどんどん軽くなる。
汗が飛び散り、自然と笑みがこぼれる。
男は生まれて初めて、何かに夢中になっていることに気づく。
外野
今ではそこに多くの人々が集まり、その月明りのダンスを見物している。
囃す者、拍手する者、思わず泣き出してしまう者。
そこにはある種の連帯が生まれているのかもしれない。
でも、それは男には関係無いこと。
彼はただ踊り続ける。
月に向かって、ただ一人。
おしまい

※これは第3回『人の話を聴く会』のゲスト、金子しんぺい(パントマイマー)さんの舞台『月のセールスマン』のために僕が考えた、ある男の物語です。金子さんはこれに多少アレンジを加えて、御自分のマイム劇にしたそうです。それは彼にとっては初めての大きな独り舞台で、色々と準備が大変だったそうですが、フタを開けると連日満員御礼(良かったですね)、僕も一生懸命考えた甲斐がありました。
それで、ちょっとした記念として、ここに書き出してみました。
書いた後に気づいたのは、これは『月のセールスマン』ではなく『月とセールスマン』になってますね。
皆さんはどんな感想を持たれるでしょうか。コメント等残されると嬉しいです。店主拝
※この物語を考えている時に頭の中にあったのは、金子さん自身のキャラ、村上春樹の短編『神の子ども達はみな踊る』、チャップリン、ロイ・アンダーソン映画『さよなら人類』、そしてフレッド・アステア。
「もしアステアが俺の目の前でチーク・トゥ・チーク歌ってくれたら、(自分の)弟子の弟子になってもいいな。」とは立川談志の言ですが、でも、こんな弟子嫌でしょうね。