小麦粉、砂糖、バターと卵をシンプルに混ぜ合わせ、シンプルに焼き上げた素朴なお菓子、『マドレーヌ』。
昔々のフランスで、初めてそれを焼いた女性の名前が、その名の由来だと言われています。
時は18世紀。
フランス東部のロレーヌ地方コメルシーにて、ある公(元ポーランド王)の晩餐会が開かれていました。
その大忙しの厨房(まるで映画「パペットの晩餐会」の様)で、料理人と菓子職人が言い争いをし、後者が帰ってしまう事件が起こります(ほんとかしらん)。
「困ったなぁ、どうしよう。デザートが出せないぞ…」と頭を抱える料理長。
そこにたまたま顔を出したのが、若いひとりのメイド。
「そう言えば、彼女はお菓子作りが得意だったはず……おい、君々、これこれこう言う理由なんだけども、何か作れるかい?」と訪ねた料理長に対して、(おそらく)気立ての良い彼女は、おばあちゃんから教わったレシピで応えました。
その焼き菓子は思いのほか好評。
食卓での会話もはずみ、公もいたくご満悦のご様子。
若き菓子職人を呼び寄せ、曰く「誠に美味じゃ。これは何と申す。なに、名が無いとな?ふむ…。ではそちの名は何と申す。ほう、ほう、マドレーヌか。では、この菓子もマドレーヌとしようぞ!」と言ったとか言わなかったとか…。(※だいたい真実)
そのマドレーヌ、我が家では食後のデザートの定番です。
僕たち(僕と妻と猫)はお酒をほとんど飲まないので、食後のデザートタイムはそれだけでちょっとした楽しみになっています。
汚れた食器を洗ってお湯を沸かし、珈琲かお茶を淹れて何か甘いものと一緒にテーブルに出す(これはだいたい僕の仕事)。
それは時に草餅や吹雪まんで、時に芋けんぴや月餅となる。
でも、今1番多いのが、マドレーヌ。
その素朴な焼き菓子は、珈琲にもお茶にもとても良く合う。
それをほうばりながら、僕たちは他愛のない会話をする。
職場での事や日々の事、猫の世界も楽じゃないよ…などなど。
心なしか会話もはずみ、気分は250年前のあの晩餐会(もちろん僕だけ)。
気がつくとマドレーヌはなくなり、それを潮に、僕たちはそれぞれの場所(居間、台所、僕の膝の上)へと向かいます。
それは時間にするとたかだか20分くらいの事。
でもそれが在ると無いとでは(きっと)大きく違う事。
そんな風な、日々のデザートタイムです。
その会話がはずむ(?)マドレーヌ、我が家ではいつも決まったお店で買っています。
そこは吉祥寺で長年続く、知る人ぞ知るというタイプのこじんまりとしたフランス料理屋。
シェフとパティシエの二人によって営まれているその小さなお店は、毎日朝も早く(3時!)から夜遅くまで、ほぼ一日中仕込みの火が消えることがありません(ご苦労様です)。
料理やお菓子に対する愛情や熱意は、それに携わる者ならみんな大なり小なり持っているのかもしれませんが、それでも、僕は頭が下がる思いがします。
ベーキングパウダーや膨張剤を一切使わないというのはその美味しさのいったんでしかなく、そこには、やはり料理に対する姿勢が色濃く反映されているではないでしょうか。
お二人を見ていると、飲食業の端くれとして、僕はそんなことを感じます。
そのマドレーヌを、この度、トムネコゴでも取り扱うことになりました。
味はプレーン(300円)、紅茶(320円)、シナモンレーズン(320円)の3種。
基本的にテイクアウトのみですが、しばらくはお試しとして、プラス100円で店内でも食べられます。
どうぞこの機会に、シットリと滑らか、甘さも程良くやや大ぶりで食べ応えもあるマドレーヌを、珈琲のお供にでもいかがですか。
ただし、静かなトムネコゴでは会話ははずまないと思いますが…。
店主
posted by トムネコゴ at 08:14| 東京 ☁|
日記
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