2018年11月15日

『音楽と絵と珈琲と』

暮にちょっとした事をやろうと思います。
ギター奏者・作曲家の菅間一徳と絵とデザインの大平高之と一緒に、
そこに様々な分野で活躍する音楽家の権頭真由を加えて、
12月11日・火曜日・朝の8時から夜9時まで、
音楽を聴いて・絵を見て・珈琲を飲んで、
1日を通してのそんなイベントをやろうと思います。

内容は、菅間さん権頭さんの演奏会があり、
大平さんのライヴペインティングがあり、
ちょっとだけ、『人の話を聴く会』(※1)があります。
そしてこれらの合間に喫茶の時間を設け、そこで珈琲でも飲みながら、大平高之の絵を見て、買うことが出来ます。
それはこれまでに描いた絵と、その日の為の“描きおろし”、数十点。
「今回は2000〜3000円くらいの手頃な絵も出します」(大平)、とのこと。
楽しみです。

私ごとですが、トムネコゴは今年10周年を迎えました。
その節目の年に、ある小雑誌に特集記事を組んでもらい、その小雑誌の次号に僕(店主)のエッセイが載ることになりました。(※2)
これらは二つとも僕とトムネコゴにとっては初めての事であり、大きな事であります。
そんな“初めてであり、大きな事”を、10周年記念でもないですが、もう一つ、暮にやってみようと思います。
音楽と絵と珈琲と。
宜しければ、ご参加下さい。

店主

『音楽と絵と珈琲と』
12月11日 火曜日 トムネコゴにて

1、菅間一徳(ギター)と大平高之(絵筆)のデュオ
“音楽と絵、互いに触発し合って生まれる何か”
別のジャンルで活動する2人による、“無言の対話”
8時開場・9時開演・要予約・1500円(とご注文)

『喫茶と絵の時間』
自由に大平さんの絵を見て、買えます
10時半から12時半頃まで・予約不要・出入り自由

2、菅間一徳(ギター)と権頭真由(アコーディオン)のデュオ
“アコースティックギターの柔らかな音色と、アコーディオンによる豊かな響き”
個人的に気に入っている作品『waterside』を作った2人による、“音の対話”
13時開場・14時開演・要予約・1500円(とご注文)

『喫茶と絵の時間』
15時半から17時半頃まで・予約不要・出入り自由

3、菅間一徳と大平高之と店主のトリオ
始めにちょっとだけ、久々に『人の話を聴く会』をやります
それから菅間さんと大平さんによるデュオ
そして最後に、絵の時間(見る・買う)で閉めます
18時開場・19時開演・要予約・1500円(とご注文)

予約・お問合せはthomnecogo@gmail.comか080ー6502ー0406迄

(※1)『人の話を聴く会』とは、トムネコゴ店主が聴き手となって様々なゲスト(話し手)にインタビューをし、その話しを集まった人達と共に聴いていく、文字通りのとてもシンプルな会です。今回は2017年10月の第10回以来、約1年振りの会となる。
(※2)ある小雑誌の事は、気になる方はブログ内の『ひとりの時間』という記事をご覧下さい。店主のエッセイが載る事については、後日改めてブログに書く予定です。

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左から大平、店主、菅間の3人が今度のイベントについて話し合っているところ…。
(もちろん冗談ですよ。正解はカウリスマキの『ラヴィ・ド・ボエーム』まで)
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2018年10月28日

『それは夜のせいかも知れない』

23時04分、今、モーツァルトを聴いています。
曲名は分かりませんが、荘厳な雰囲気、伸びやかな歌声、宗教曲の様に聴こえます。
それはマタイほど深刻ではなく、レクイエムほど大仰ではない。
どこか小さな村の小さな教会、こじんまりとした合唱の集い、そんな感じ。
その合唱の背景に、かすかに、天使の声が聴こえる。
それは“彼”の耳にはハッキリと聴こえたであろうミューズの歌声。
それは譜面には載ってない無音のヴォイス。
それが、ラジカセの向こうから、かすかに聴こえてくる。

1日の終わり、居間でひとり、疲れた身体でモーツァルトを聴くと、例えばそんな事を思います。
こんな時、無性に酒(ウィスキー。もちろんストレイト、ノーチェイサーで)が飲みたくなるのはどうしてなんでしょうね。
それは夜のせいかも知れない。
あるいは、“彼”のせいかも知れない。


さて、たいへん急ですが、29日(月)は18時閉店となります。
ご迷惑をおかけしますが、どうぞ宜しくお願い致します。
店主

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2018年10月09日

ある夏の日の『東京物語』

僕がまだ独り者で、フリーターで、三鷹の風呂無しアパート(38000円ナリ)に住んでいた頃、田舎の沖縄から母親が訪ねて来たことが一度だけありました。
確か当時大阪の大学に通っていた弟を訪ねるついでに、東京の郊外のぼろアパートまで足を伸ばすと言う事だったと記憶しています。
沖縄から大阪に行く“ついで”が東京と言うのは、今考えてみても、なかなかスケールが大きいなぁと素直に感心してしまいます。
当たり前ですが、図書館に行くついでにスーパーに寄るのとはわけが違います。
そしてまた当たり前ですが、その動機も違います。

母は夏の暑い日に一人で三鷹までやって来ました。
確か僕の部屋に二泊して帰ったと思います。
その間、僕はバイトを休みにするでもなく、特別何処かへ連れて行くでもなく、ただ自分の日常のペースのままに、その二日間を過ごしました。
良く言えば優先順位がはっきりしている。
悪く言えば親不孝者。
この場合は、もちろん、後者です。

そんなある日、バイトから帰ると、買い物帰りの母とアパートの前でばったり会いました。
確かその日は早番で、その時はお昼時で、母は空っぽの冷蔵庫をうめる食材が入ったビニール袋をその両手に下げ、不思議な笑みを浮かべて、そこに立っていました。
薄いビニール袋に中のスイカが透けて見えます。
「美味しそうだったから買ったさ。食べるね」
粗末な台所で母が作った昼食を二人で食べ、それからスイカを割って食べました。
部屋にはエアコンもなく、窓は全開にして、扇風機の羽根がくるくると回っています。
「暑いね」
「うん」
不思議と音の無い、静かな午後だったように思います。

その後に、どう言うわけか、一緒に小津安二郎の『東京物語』を観ました。
おそらく何もする事がなく、手持ち無沙汰で、「何かDVDでも観ようか」となったのだと思います。
一脚しかない椅子に母を座らせ、僕はその隣に畳に直に座り、日も射さない薄暗い部屋の中、小ちゃなテレビの画面を二人して見つめました。
時折り母が訊く「この人誰だったかね」(「山村聡だよ」「三宅邦子」)以外は無言です。
音の無い静かな午後に、モノクロの映像が淡々と流れて行きます。

「あーラクチンだ、あーノンキだね」(『東京物語』より)

やがてエンドロールとなり、夕暮れとなり、母の作った夕飯を二人で食べ、寝ました。
母はその次の日に帰ったと思います。
僕は見送りにも行かなかったはずです。

その当時、僕は小津にハマっていて、その映画も何度も観ていました。
そしてもちろんその内容も知っていたはずです。
にも関わらず、どうして『東京物語』何かを選んだのだろう?
よりにもよって、“田舎から上京した両親を邪険に扱う子供達の映画”なんかを?
同じ小津なら『おはよう』や『父ありき』のような、その時に相応しい映画が他にまだまだあったはずです。
でもなぜか僕はそうしなかった。
いかにも“親の心子知らず”的な映画を選んでしまった。
自分がそれに近しい事をしているとは気づかずに。

「いやぁ、とうとう宿無しになってしもたわい…はは」(同)

その二日間に僕が母に対してしてた事が正にその映画の通りだと気づいたのは、もっとずっと後、何年も何年も経ってからのことです。
「若いうちはしょうがない」「出来る時に孝行すればいいんだ」と言う理屈は立ちますが、「それでもそんな映画を観せるべきではなかった」と言う悔い(のようなもの)を、今は感じます。
いったい母はどの様な気持ちであの映画を観ていたのだろうか。
そしてどの様な思いを胸に、一人羽田へと向かったのだろうか。

あれから15年以上が経ち、僕はそれなりに歳を重ねて来ました。
結婚をして猫を飼い、店を始めました。
今のアパートには風呂もエアコンも完備され、天気の良い日は眩しい位の陽が射します。
僕はあの頃と比べて少しはマシな人間になっているだろうか。
あの映画と近しいようなことを今だにしてやしないだろうか。

僕はあの夏の日の『東京物語』を忘れることが出来ない。
それはある限られた時間のなかで起こった、僕と母との物語でもあったのだから。

「“去ればとて、墓に布団も着せられず”や」(同)

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前置きが長くなりましたが、この11月に母(今回は父も)が久方ぶりに上京します。
小津の口癖を借りれば、「ババア何しに来やがる」です。
なので、以下の通りに営業時間の変更をしたいと思います。
ご不便をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。
店主

11月5日(月)18時迄
(6日の火曜は定休日)
7日(水)と8日(木)休業
14日の第2水曜は営業します。
posted by トムネコゴ at 18:06| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月20日

“白いヒゲ”さんからの便り

ようやく涼しくなってきましたね。
すると登場するのが、“白いヒゲ”の焼き菓子です。
“白いヒゲ”とは、トムネコゴ専属の焼き菓子職人のことで、涼しくなってくると何処かから現れ、「そろそろ何か作りましょうか」、と、その季節の作物を使ったタルトやクッキーなどを焼いてくれます。
素性は…よく分かりません。
でも、そんな事分からなくたって、その焼き菓子はいつもとても美味しい。
まるで森の中で焼いた様な、自然の空気と味が、そこには詰まっています。

その“白いヒゲ”さんから、先日、『胡桃のタルト』と『栗のタルト』が届きました。
そして今回は『無花果のジャム』も作ってくれました。

どこかの森の奥、リスやキツネ、そしてネコが見守る中を、せっせと仕込みをしている“白いヒゲ”さんの姿が思い浮かびます。
それはまるで映画『バベットの晩餐会』での女主人のよう。

「次は何を焼こうかな。フンフン」

僕はそれの焼ける匂いがオーブンからもれ出し、風の便りとなって、トムネコゴに届くのを楽しみに待ちます。
しっかりと店を整え、“白いヒゲ”さんお気に入りの、ビリー・テイラーでも聴きながら。

珈琲のお供にでも。
店主

※焼き菓子やジャムは無くなり次第、あるいは、本人の気まぐれ次第で終了・変更となりますので、悪しからず。

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彼も見守っていたのかしら。いつに無く真剣な眼差しで。「そんな切り方じゃあ、素材が死んじまいますよ!ペロペロ」


posted by トムネコゴ at 09:47| 東京 ☁| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月04日

本日、4日の火曜日は臨時営業します。

特別な事は何もありません。
普段通りのトムネコゴで、いつものように開けています。
ひと息つきたい方、落ち着いた時間を過ごしたい方は、どうぞ足を運んでみて下さい。

お待ちしてます。
店主

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“瓢箪から駒”ほどではないですが、火曜営業は久しぶりです。
posted by トムネコゴ at 13:14| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月25日

ひとりの時間

『1/f』(エフブンノイチ)と言う雑誌を知ってますか?
取材からインタヴュー、写真、執筆、イラスト、編集、出版・発行までをたった1人(!)が手がける小さな雑誌です。
サイズは小さくても内容はドッシリとしていて、初めて読んだ時に「しっかりとした内容だなぁ」と感心したのを覚えています。
たまに見かけるこの手の自主出版のミニマガジンとは違う“重さ”をそこに感じました。
その“重さ”は、どこか『暮らしの手帖』と通じるところがあるかも知れません。

長尾契子さん(と言うのが『1/f』発行人の名前です)が初めてトムネコゴに来た時のことを不思議に覚えています。
1人で来てソワソワと窓際の席に着き(少し挙動不審?)、珈琲とケーキを頼んでしばらく何かの本を読んでいました。
そこまでの映像が僕の記憶にうっすらと残っています。

それから何度目かの来店時に「実は私(わたくし)こういう雑誌を作っているものですが、良かったら読んでみてもらえませんか」と手渡された1冊が『1/f』との出会いでした。
その時も、長尾さんはソワソワとしていました。

「次の号は“ひとりの時間”がテーマなのですが、良かったらマスターの話を聴かせてもらえませんか」そう声をかけられたのは何度目の来店時だっただろうか。
お会計の時、先の1冊を読んで「感心した」ことを率直に伝えたのが口火となり、いつになく続く会話の中で、不意に、長尾さんはそう言いました。
「もちろんオーケーですよ。あの様な雑誌に載せてもらえるのはトムネコゴとしても嬉しいです」と気軽に応えたものの、まさか18ページもの特集記事になるとは夢にも思いませんでした。
(普通、だいたい1ページ以内。18ページと言うのは…)
「では取材日程は後日改めてメールで」と頭を下げて帰って行った長尾さんは、やはりソワソワとしていました。
(その後のやり取りの中で、あの雑誌を長尾さん1人が作っていることを知り、僕は新たな感心をする事になります)

初夏の良く晴れた朝、トムネコゴにて行われたインタヴュー、“ひとりの時間”をテーマに僕が語ったことは、孤独について、夢とその喪失、トムネコゴが生まれた瞬間とそれ以前のこと、小林カツ代さんのこと、そして猫…などなど。
取材は3時間以上に及び、終わった時の心地よい疲労と空腹感が、その日の充実度を表していたような気がします。
(最後にちょっとしたハプニングがありましたが、詳細は本誌を読んでのお楽しみ)

その『1/f』vol.6 “ひとりの時間 Solitude time”号が刷り上がったと連絡が入ったのは、異常に暑かった夏もようやく終わりに近づいた頃。
それをわざわざトムネコゴまで届けに来てくれた長尾さんは、もうあまりソワソワしませんでした。
店の入り口でしばらく立ち話をして、「それでは」と言って帰ったその姿に、ひと仕事終えた人間の清々しさのようなものが感じられました。
僕はそれを見送り、扉をちゃんと閉めて(トムネコゴの扉は店主と一緒で建付が悪い)、手元に残った小雑誌をめくります。
そこには、あの“重さ”がしっかりと存在しています。


本誌の中でも触れていますが、トムネコゴはもうすぐ10周年を迎えます。
その節目の年に、この様な大きな記事を書いて貰えたこと、トムネコゴ一同(店主と猫)とても嬉しく思います。
この小雑誌を読んでみたい方は、どうぞ『1/f』(通称 エフイチ)のホームページを覗いてみてください。http://ehubunnoichi.com/
トムネコゴにも若干数置いています。※vol.6のみ
店主

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「他の人間と1時間いると、そのX倍した時間だけひとりになる必要がある‥‥孤独は人間の幸福に欠かせない要素だ」グレン・グールド
posted by トムネコゴ at 08:24| 東京 ☀| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月23日

季節がもたらしたもの

その夜の演奏会には、少なくとも“ふたり”のゲストがいました。
ひとりは、夜に鳴く夏の虫。
ひとりは、風に鳴る風鈴。
菅間さんが、いつものように、呼吸をととのえ静かにギターを弾き始めると、“ふたり”もその自然の音を奏で始め、やがて“さんにん”は、呼応し合うように、まるでトリオ演奏のような見事なアンサンブルを聴かせました。
(時折通る電車の音で“モダン”なカルテット演奏にもなります)

「8月に、この場所で、この曲を演奏出来るのは、少なくとも後1年はないだろうから、今日は、それを、弾きたいと思います」
そう言って、菅間さんは8月にちなんだ曲『One day,at twilight』を弾き始めました。

季節に1回のこの小さな演奏会は、その夜を終えると、また1年後にしか『夏』はやって来ません。
そんな当たり前の事がどこか物哀しく思えるのは、“さんにん”のアンサンブルがあまりにも見事だったから。
(時折のカルテットはちと“モダン”に過ぎます)

『秋』には『秋』の良さがあって、『冬』には『冬』の楽しみがある。
でもそこには、夏の虫の声も、風鈴の音も聴かれない。
それらは季節がもたらしたもので、それが過ぎれば、「また来年、お元気で」、となる。

そんな、季節がもたらしたもの。
“その夜の演奏会がまさにそうだったんだ”
と、今、iPadの画面を見ながら、思い返しています。

また来年。

店主


8月19日 菅間 一徳 ソロ演奏会 『夏』を終えて。

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ゲストのひとり。短冊は手作りです。絵は大平高之 作。“チリンチリン”
posted by トムネコゴ at 11:13| 東京 ☀| Comment(0) | 演奏会を終えて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする